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広島地方裁判所 昭和58年(ワ)181号 判決 1992年12月21日

原告

藤川淳

藤川博規

藤川奈美

原告三名訴訟代理人弁護士

小笠豊

二国則昭

桂秀次郎

被告

佐々木伸博

八幡浩

被告二名訴訟代理人弁護士

新谷昭治

秋山光明

主文

一1  被告佐々木伸博は、原告藤川淳に対し、金二五万円及びこれに対する昭和五八年一月一八日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

2  被告佐々木伸博は、原告藤川博規及び同藤川奈美のそれぞれに対し、金一二万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五八年一月一八日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

二  原告ら各自の被告佐々木伸博に対するその余の請求及び被告八幡浩に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告佐々木伸博との間では、原告らと同被告との負担を二分の一ずつとし、原告らと被告八幡浩との間では全部原告らの負担とする。

四  この判決の原告ら勝訴部分は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一被告両名は、各自、原告藤川淳に対し、金二三二六万円及びこれに対する昭和五八年一月一八日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

二被告両名は、各自、原告藤川博規及び同藤川奈美のそれぞれに対し、金一三七五万円及びこれに対する昭和五八年一月一八日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

以下の事実は、当事者間に争いのない事実又は当事者の主張する事実のうち証拠によって容易に認められるもののいずれかである。

一当事者等

藤川政子(以下、政子という。)は、昭和五八年一月一八日午後九時一〇分に、福馬外科病院(以下、福馬外科という。)において死亡した。被告佐々木伸博(以下、被告佐々木という。)は、政子の死亡当時、院長として福馬外科を経営していた医師であり、被告八幡浩(以下、被告八幡という。)は、当時福馬外科に勤務していた医師である。(争いがない。)

原告藤川淳(以下、原告淳という。)は、政子の夫であり、原告藤川博規(以下、原告博規という。)は、政子の長男、原告藤川奈美(以下、原告奈美という。)は、政子の二女である。政子の相続人は他にいない。(<書証番号略>)

二診療の経過(争いがない。)

政子は、昭和五八年一月九日朝、左片麻痺を起こして立ち上がれなくなり、梶川脳神経外科病院(以下、梶川病院という。)で診察を受けたところ、脳出血と診断され、即日入院して脳内血腫除去の手術を受けた。その後、気道閉塞を防ぐために気管切開が行われ、気管カニューレが挿入された。

政子は、一月一七日、急性腎不全を併発し、人工透析を受けるために福馬外科に転入院し、同日午後五時前から午後八時ころまで、第一回目の人工透析を受けた。一月一八日午後〇時過ぎから第二回目の透析が始められたが、途中で政子の血圧が下がってきたため、二時間半で中止された。

同日午後六時二〇分ころ、気管カニューレが交換され、金属製のカニューレが使用された。気管カニューレとは、気管切開施行後に呼吸道の役割をするとともに血液が気管内に侵入するのを防ぎ、気管腔内の分泌物の排出を容易にするために、気管切開部から気管内に挿入する曲がった管であり、金属製、人工樹脂製などがある。

その後、鼻から胃に挿入されたチューブによって、流動食三〇〇CCが注入された。注入終了の約三分後、鼻のチューブから茶褐色の液体が出てきた。そこで、チューブの先端が閉塞された。しかし、その約一時間後に、チューブ先端を開けると、再び茶褐色の液体が出てきた。その間に、それまで約三八℃であった体温が、40.3℃にまで上昇した。

同日午後八時三〇分ころに呼吸が停止し、八時四〇分ころから被告佐々木が心マッサージを行ったところ、気管カニューレの挿入されている喉の切開部分から大量に茶褐色の液体が流れ出た。

同日午後九時一〇分に政子の死亡が確認された。政子の死亡した直後における被告佐々木の原告淳に対する政子の死亡原因についての説明は、政子が消化管からの吐血を気管内に誤飲して窒息死した、というものであった。

第三原告らの主張

一誤飲による窒息が死亡原因であることを前提とする第一次的主張

政子は、以下に述べる被告らの過失のいずれかを原因として、嘔吐物を誤飲して窒息死した。したがって、政子の相続人である原告らは、被告佐々木に対しては債務不履行又は不法行為に基づき、被告八幡に対しては不法行為に基づき、政子の死亡による損害について、逸失利益(合計二五五二万円)は、相続分に応じて原告淳に一二七六万円(二分の一)、原告博規及び同奈美に各六三八万円(各四分の一)、慰藉料は原告淳に八〇〇万円、同博規及び同奈美に各六〇〇万円、弁護士費用は原告淳に二五〇万円、同博規及び同奈美に各一三七万円の、それぞれ賠償とこれに対する不法行為の日である政子の死亡した昭和五八年一月一八日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告ら各自に対して命じる裁判を求める。

1  流動食注入上の過失

患者の意識状態が悪いときには、嚥下反射や咳嗽反射の機能が低下しているため、誤飲の危険が高い。したがって、このような患者には、胃内に注入物が滞留しないように、鼻から胃に流動食を注入することを避け、あるいは注入する場合でも注入速度を一時間に一〇〇CC程度にして、嘔吐・誤飲の危険を生じさせないようにする注意義務がある。それにもかかわらず、被告らが、意識状態の悪い政子に一五〜二〇分間の短時間に三〇〇CCもの流動食を注入したために、政子は、胃内容物を嘔吐し、これを誤飲して窒息死した。

2  気管カニューレ管理上の過失

気管カニューレには、金属製のものとカフの付いた人工樹脂製のものとがある。カフとは誤飲を防ぐためにカニューレの管に巻かれたゴム製の加圧帯のことである。したがって、気管切開を行った患者にカニューレを使用するに際しては、誤飲の危険が大きい場合には、カフ付きのものを使用して誤飲を防止する注意義務がある。

政子の場合は、死亡当日の午後からは意識状態が悪化し、しかも流動食注入後には鼻のチューブから茶褐色の液体が流出するなど、誤飲の危険が大きい状態になっていたのであるから、被告らは、誤飲の危険の大きくなっていた政子の気管カニューレをそれまでの金属製のものからカフ付きのものに変える措置をとるべきであった。ところが、被告らはこの措置をとることを怠り、そのため、政子は、嘔吐した胃内容物を誤飲して窒息死した。

3  誤飲に対する救急措置上の過失

医師には、脳出血手術後の患者の意識状態が悪い状態になったときには、消化管出血などによる吐血やその誤飲の危険も予想して厳重な観察を行い、緊急の場合には直ちに必要な救急措置を講じる注意義務がある。

政子は、死亡当日には意識状態が悪くなっていた。それにもかかわらず、被告らは、消化管出血による吐血などの政子の病状の変化に対する観察を怠り、吐血の始まった午後八時三〇分ころにも、昇圧剤の投与を看護婦に命じたのみで直接政子の病状を診察することを怠った。被告らが政子の病状を十分に観察し、吐血・誤飲の始まったときに直ちに誤飲した物を吸引して酸素投与をするなどの適切な救急措置を講じていれば、政子が窒息によって死亡する結果を回避できたにもかかわらず、被告らがこれを怠ったために、政子は誤飲によって窒息死した。

二誤飲による窒息が死亡原因でないことを前提とする第二次的主張

1  死亡による損害の賠償請求

誤飲による窒息が死亡原因でないとすると、政子の死亡原因は、死亡当日の一八日午後二時ころ、福馬外科における人工透析中に、急激に血圧が低下してショック状態に陥ったことにあるものと考えられる。

一方、一般に、透析中には血圧低下の傾向があり、血圧の管理が重要であるのに、被告らは、これを十分に行わなかった。また、被告らは、入院中、政子に消化管の出血が継続していたのに、これに対する措置を講じなかったばかりか、流動食を早い速度で注入したことによってむしろ消化管出血の症状を悪化させた。また、政子には、脳出血の手術後から発熱があり、何らかの感染症の合併が疑われたのに、被告らはこれに対する措置を全く講じていない。

政子がショック状態に陥って死亡した原因として考えられるのは、①消化管内の大量出血と血圧低下、②感染症の増悪、であるから、被告らが、前記のように血圧管理や消化管出血と感染症に対する措置を講じることを怠ったために政子が死亡した、ということができる。

そこで、原告らは、第一次的主張と同様の損害賠償を命じる裁判を求める。

2  最善の医療を受ける権利、延命に対する期待の侵害に対する損害の賠償請求

仮に、1に述べた被告らの医療行為と政子の死亡の結果との間に因果関係が認められないとしても、被告らの右医療行為は、患者の最善の医療を受ける権利、延命に対する期待の侵害である。

そこで、原告らは、政子の死亡によって原告らの受けた精神的苦痛に対する前記慰藉料の支払を命じる裁判を求める。

三事後報告義務違反を理由とする第三次的主張

死亡という不本意な結果が発生した後にも、医師は、遺族に対し、死亡の原因について解明して死亡診断書に正確な死亡の原因を記載し(医師法一九条、二〇条、同法施行規則二〇条)、治療の経過、死亡の原因について、事後的に説明し、経過を報告する義務がある。

本件において、被告佐々木は、死亡診断書に直接死因として消化管出血、誤飲を記載し、さらに、原告淳の求めに応じて、政子の直接死因を消化管出血(吐血)、誤飲、窒息であると説明してその旨の証明書を発行した。したがって、仮に、政子の死因が誤飲による窒息でないとすると、被告らによる死因の解明は誤ったものであり、また、死因についての原告らへの事後の説明、顛末報告も不適切であった、ということになる。原告らは、このような被告らの不適切な事後説明を受けたことによって、誤飲、窒息で死亡したとすればほんの少しの注意で死亡の結果を避けられたはずであると当然ながら考え、そう考えれば考えるほど、あきらめきれない思いがつのってきて、政子の死が一層不憫で納得がいかず、精神的にも一段と大きな苦痛を被ることになった。さらに、被告らの不適切な事後説明から、政子の死亡の結果に納得のいかない原告らは、本件訴訟を提起せざるを得ないことにもなり、多大の心労、時間、労力、費用を費やすことにもなった。このような原告らの精神的苦痛は、慰藉料による慰藉に値するというべきであり、その額は、原告ら各自について一〇〇万円とするのが相当である。

そこで、原告らは、第一次的主張と同様に、債務不履行又は不法行為に基づき、原告ら各自につき一〇〇万円の慰藉料とこれに対する遅延損害金の支払を被告ら各自に対して命じる裁判を求める。

第四被告らの主張

一原告らの第一次的主張について

原告らの主張のうち、政子の死因が誤飲による窒息であるとの事実は否認する。

政子の死因は、脳出血という重篤な基礎疾患に加えて、開頭術という大きな手術的侵襲を受けたことを原因として、急性腎不全を併発し、さらに、けいれん、高血圧、消化管出血、高熱というように全身状態が悪化したために、最終的には急性心不全によって死亡した、というものである。

なお、被告らは、本訴において、中途までは、政子の死亡の直接原因が誤飲による窒息であることを認めていたが、これは被告らの錯誤に基づくものである。

二原告らの第二次的主張について

政子の死因は、一に述べたとおり、脳出血という重篤な基礎疾患、手術的侵襲、急性腎不全の併発等による全身状態の悪化を原因とするものであって、このような状態に陥った患者の予後は、ほとんどの場合、原告らが被告らにおいて行うべきであったと主張する医療行為の有無によって左右されるものではない。したがって、被告らの医療行為には過失はない。

三原告らの第三次的主張について

被告佐々木が、政子の死亡後間もない時、原告らの主張するように、死因の推測を誤り、誤飲による窒息死であるとの誤った説明を原告淳に対して行ったことは認める。

しかし、患者死亡後の遺族に対する事後説明に不手際があったとき、仮にこれが慰藉料請求の根拠となる場合があり得るとしても、問題となる行為が患者の生命、身体への侵襲を伴わないものである以上、それは、説明の不手際が重大な義務違反といえる場合に限られるというべきである。

被告佐々木が胃内容(消化管出血)の誤飲、窒息が死亡への契機となったのではないかと推測したのは、一月一八日午後八時三〇分ころ血圧が八〇/六〇に急激に低下したので昇圧剤を注射したところ、その直後午後八時三三分九〇/七〇、八時三五分一一〇/八〇と上昇したものの、診察所見では、意識も対光反射もない状態にあり、午後八時四〇分脈触知不能となり無呼吸となったため、心マッサージを継続施行したとき、気管カニューレから黒褐色の血液が多量に出た、との事実に基づく。すなわち、被告佐々木は、この事実に基づき、政子がこの消化管出血を誤飲し、これにより窒息状態に陥ったものと推測したのである。なお、このように推測してよいか否かの点については、福馬外科での初診以来重篤な状態が基礎疾患として続いてきていたこと、及び、血液等の口腔への、また口腔から口外への排出がいずれも認められていないことから生じる疑問は残っていたが、右の変化が急激なものであったこと、カニューレからの血性排出に拘泥していたことから、被告佐々木は、右の推測に基づき、死亡診断書を作成し、同様の説明をした。

右のとおりであり、被告佐々木が、このように死因を推測したことは、結果的には医学的真実と異なっていたが、このような経過の中ではやむを得ないものであって、これを過失、特に重大な過失、ということはできない。まして、故意に事実を歪曲したことなどは全くない。したがって、仮に被告佐々木の判断と説明に不手際があったとしても、これを損害賠償の要件としての前記重大な義務違反とすることはできない。

さらに、原告らは、不適切な説明のためにこれに納得できず提訴せざるを得なかった、と主張するが、死因の説明に納得できずに提訴したという関係は、それだけでは、単に原告の主観的な認識におけるものにすぎず、法的には、事実上の因果関係にとどまり、いまだ法律上の相当因果関係であるとまではいえない。

また、原告の主張する提訴に伴う心労その他の精神的な負担は、社会通念上金銭によって慰藉されることが相当とされる程度の精神的苦痛であるとまではいえず、慰藉料請求権の根拠となる損害には当たらない。

第五当裁判所の判断

一政子の発症から死亡に至る経過について

前記当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>、澤田鑑定人、原告藤川淳・被告佐々木・被告八幡各本人、梶川・澤田各証人。以下においては鑑定の結果と澤田証言とを総合して澤田鑑定という。)を総合すると、以下の事実が認められる。

1  政子の発症及び梶川病院における手術までの経過

政子は、昭和五八年一月九日午前五時五〇分ころ、突発性の左不全片麻痺が出現し、同日午前七時一五分梶川病院に入院した。入院時の主な症状は、左半身の麻痺、頭痛、吐気であり、意識は比較的はっきりとしていた。午前九時ころのCT検査において、右被殻部に出血が認められ、脳出血と診断された。さらに午前一一時ころのCT検査において、脳出血の増大傾向が認められたので、直ちに開頭による血腫除去術を施行することが決定され、午前一一時一〇分に手術室に入室した。麻酔導入のうえ、一一時四〇分から梶川医師の執刀によって手術が開始され、午後一時四五分に終了した。なお、手術室に入室した直後にけいれんがあった。

2  梶川病院における手術後の政子の症状の経過

政子は、手術後、午後二時三〇分に病室に戻った。その後の症状の経過は次のとおりである。

手術直後は意識がなく、対光反応もなかった。四肢麻痺の状態であり、呼吸は浅かった。手術当日の血圧は、最高一五〇〜一六〇mmHg、最低一二〇〜一三〇mmHgであり、三八℃以上の発熱が見られた。

翌一〇日には、対光反応は出現したが、なお意識は覚醒せず、四肢麻痺の状態が続いた。体温は三七〜三八℃とやや下がっているが、同日の血液検査において、尿素窒素が43.8mg/dl、白血球数が一九〇〇〇/mm3と高い値を示していた。

手術後三日目の一月一一日は、ほぼ同様の状態が続き、四日目の一月一二日に入ると、午前一時四〇分にけいれんが現れ、体温が三九℃以上に上昇、午前六時ころには体温が37.4℃まで下がったが、なお右半身にけいれんが現れていた。意識は半昏睡状態であるが、右上下肢には自発運動が現れた。午前一〇時には、呼吸困難の症状が見られ、午前一二時に、気管切開が施行された。気管切開術施行の直後には、カフ付きカニューレが使用された。午後九時になると、呼吸は規則的になったが、依然としてけいれんが見られ、午後一二時には全身のけいれんが見られた。

手術後五日目の一月一三日は、前日とほぼ同様の状態が続き、体温は三八℃を上下し、同日の血液検査では、尿素窒素が四二mg/dl、白血球数が一三九〇〇/mm3と依然として高い値を示していた。なお、同日午前八時三〇分には、金属カニューレに換えられている。

手術後六日目の一月一四日には、意識がほぼ覚醒し、口頭指示に応じて右上下肢を動かす状態になったが、発熱は持続し、同日の血液検査では、血清ナトリウムが一六二mEq/l、尿素窒素が39.7mg/dl、白血球数が一〇八〇〇/mm3と高い値を示していた。

手術後七日目の一月一五日午前五時には、気管カニューレから凝血塊が吸引された。同日は、意識は清明であるがけいれんが現れ、三八℃以上の発熱が持続している。同日午後一時一五分に気管カニューレが交換された。

手術後八日目の一月一六日は、三八℃前後の発熱が続き、右半身のけいれんが頻発しているが、応答は保たれている。同日午前一一時に気管カニューレを交換しているが、その際、凝血塊が認められた。

手術後九日目の一月一七日には、朝から一〇〜一五分おきにけいれんが見られたが、応答は保たれていた。同日の血液検査では、血清ナトリウムが一六五mEq/l、尿素窒素が65.5mg/dl、白血球数が一二五〇〇/mm3と高い値を示していた。この時点で、梶川医師は、政子は腎不全を併発していると診断し、血液人工透析が必要であると判断した。政子は、梶川医師のこの判断に基づき、同日午後三時三〇分ころ、透析設備のある福馬外科に転入院した。

3  福馬外科へ転入院した後の診療の経過

政子の福馬外科への転入院に当たっては、梶川病院から梶川医師が付き添い、福馬外科の医師である被告佐々木及び同八幡に対して、政子の症状及び診療経過につき、脳出血に対して血腫除去術を施行したこと、手術後発熱があり、一月一六日からけいれんが頻発しているが、手術後の経過は順調であり、血腫の除去の程度や脳の状態には心配はないこと、腎不全を併発し尿毒症の症状があることを説明した。これを受けて、被告佐々木は、改めて血液検査をしたうえで、腎不全の治療のために透析が必要であると判断し、同日午後四時四〇分から午後七時四〇分までの間、第一回目の透析を実施した。第一回目の透析は、酸素吸入下で局所へパリン化法で行われたが、開始時にけいれん抑制のためにホリゾン一〇mgが投与された。透析中血圧が下降する傾向があり、生理食塩水、カルニゲンなどの点滴が行われた。その結果、血圧は、一六〇/九〇mmHgから、一三〇/八〇mmHgに低下し、体重は55.1kgから56.2kgに増加したが、血液浸透圧、尿素窒素、クレアチニンなどの血液組成の異常には是正の傾向が見られた。この血液透析の間、気管カニューレからの吸引が二回行われたが、透析中一般状態には特に変化がなく終了した。透析終了後も、意識はなかったが、けいれんなどはなく、症状には特に変化がなかった。午後一〇時においても、血圧一五四/一一八mmHg、体温三七℃と比較的落ち着いた状態であった。

翌一月一八日午前〇時二〇分には、体温が37.8℃に上昇していたので、解熱剤メチロン一アンプルが注射された。その際、意識はなかったが、時々手足を動かすことが観察された。午前二時一〇分に、政子は意識を回復した。しかし、そのときの具体的な意識状態は明らかでない。午前三時一〇分には、午前一時にいったん37.1℃まで下がった体温が再び38.3℃まで上昇していた。血圧も一八六/一二〇mmHgに上昇していたので、血圧降下薬アポプロン一アンプルが筋肉注射された。このときには、意識状態は改善しており、付添人の言葉にうなずき、しきりと右手を動かしていた。また、このとき気管カニューレから血液塊が吸引されている。午前四時一〇分も同様な状態であり、少しだが目を開け、握力は強かった。午前五時二〇分には、指で文字を書いて意志を表明したことが観察されている。午前九時には、呼べば目を開けるという程度の意識状態であったが、依然として発熱と高血圧が続いていた。また、そのころ、前日に黒色軟便のあったことが看護記録に記載されている。午前九時三〇分には、食欲が出て、筆談で食物を要求する状態となっている。午前九時四〇分、鼻腔チューブから流動食一〇〇mlが注入されたが、チューブがはずれてやや減量している。その後も状態の変化は見られず、午後〇時一〇分に、第二回目の透析が開始された。

第二回目の透析も前日と同じ酸素吸入下で局所へパリン化法で行われたが、開始直後から血圧が低下し、午後二時一五分には血圧が八〇/五〇mmHgになり、意識障害も現れたため午後二時四〇分に透析を中止した。この透析中に発生した意識障害の程度は、昏睡状態であり、その後、死亡に至るまで回復していない。第二回目の透析により、血液組成の異常は、前日よりさらに改善された。しかし、透析後の午後五時一五分には、体温が四〇℃に上昇し、血圧一九四/九〇mmHg、脈拍一三〇で、意識がなく、顔面の振戦が見られ瞳孔は散大し、対光反応が消失した。午後五時三〇分には、全身に熱感があり、四肢のチアノーゼはなく、足先のみに軽度の冷感が認められており、血圧一六〇/八〇mmHg、脈拍一二八、呼吸数三三で、呼吸は浅い状態であった。午後六時二〇分に気管カニューレを吸引し、その際、少量の血性の啖が吸引された。引き続いて胃チューブが挿入され、流動物一〇〇mlとジュース・スープを計一〇〇ml、それに微温湯約五〇mlを加えた合計約二五〇〜三〇〇mlの流動食がチューブを通じて胃内に投与された。流動食の投与に要した時間は一五〜二〇分である。投与を終了して数分後の午後六時五五分には、胃チューブから、黒褐色の胃内容の流出が認められた。このときも発熱は持続しており、体温は38.2℃、呼吸は浅い状態であった。

同日午後八時三〇分、血圧が八〇/六〇mmHgに下降、午後八時三五分胃チューブから血液様の胃内容が五〇ml吸引された。意識は消失したままであり、対光反射なども消失していた。このときの呼吸状態は、深い呼吸をしたかと思うと呼吸が止まり、また深い呼吸をしたかと思うと呼吸が止まり、呼吸の止まっている時間がだんだん長くなるような周期性呼吸であり、チアノーゼも現れている。午後八時四〇分には脈拍が触知不能となり、心マッサージが開始された。その際、心マッサージのため胸部を押さえるたびに、気管カニューレの挿入されている喉の切開部分から大量の黒褐色の液体が出てきた。しかし、その際、口腔内には、このような胃内容が排出されておらず、したがって、口から外への排出もなかった。午後八時五〇分に心停止、呼吸停止の状態となり、その後も心マッサージが続行されたが心拍動は戻らず、午後九時一〇分に死亡が宣告された。

二政子の死亡原因について

前記認定の事実と澤田鑑定を総合すると、政子の死亡に至る経過はおおよそ次のとおりであると認められる。

政子は、一月九日朝、右被殻部に脳出血が発症した。発症初期には、臨床症状は比較的軽かったが、病勢は強く、脳出血の症状は急速に進行していった。そして、発症当日の午前一一時三〇分に血腫除去術を施行するまでには、脳出血の症状により、けいれんを出現させるまでに至っていた。血腫除去術により血腫そのものによる脳圧迫からくる障害はある程度軽減されたが、随伴する脳浮腫などによりその後も広範な脳機能障害が残存していた。本件のように脳出血の発症後間もない時期にけいれんも出現するほどの脳機能障害が発生した場合には、臨床経験上予後は極めて不良であり、澤田鑑定人の経験した四例においても、全例が死亡の転帰を見ている。そして、本来的な疾患である脳障害が、このように極めて重篤な状態であったうえに、福馬外科への転入院直前には、腎機能障害をも併発し、これが急速に増悪して尿毒症の状態になり、血液透析を実施しなければ早晩死を免れない状態にまで陥り、血液透析のために福馬外科に転入院した。しかし、脳出血により重い脳障害の状態にある患者が、血液透析をも必要とする腎機能障害を引き起こした場合にも、やはり、臨床経験上、予後は極めて不良である。政子は、このように、本来的疾患である脳障害が極めて不良な予後を予測させるほど重篤な状態であり、しかも一定程度以上に重篤な脳障害のある患者が併発した場合には、澤田鑑定人の経験でも全例が死亡しているほど不良な予後を予測させる腎機能障害を併発していたほど、全身状態を悪化させていたうえ、手術直後の発熱から疑われるなんらかの炎症性疾患も加わって、全身状態が極めて悪化した。そのため、福馬外科における第二回目の透析中の一月一八日午後二時一五分に急激な血圧低下を引き起こしてショック状態となり、意識を消失して昏睡状態に陥った。その後、昇圧剤の投与で一時的に血圧は上昇したが、同日午後五時一五分、何らかの感染症の発生又は増悪を原因として悪寒戦慄を伴う急激な発熱を引き起こした。同日午後八時三〇分、再び急激に血圧が低下してショック状態となり、午後八時五〇分に心臓が停止して午後九時一〇分に死亡が確認された。

このような死亡の経過からみて、政子の直接の死亡原因は、脳障害に腎機能障害と何らかの感染症疾患とが加わり全身状態が極めて悪化して心臓の機能低下を招いたことによるものであると、すなわち、急性の心不全であると認められる。

三誤飲による窒息死を前提とする原告らの主張の当否について

1  誤飲ないし窒息の有無について

原告らは、第一次的主張として、政子の死亡原因は嘔吐した胃内容物を誤飲したことによる窒息であると主張する。そして、原告らの右主張の裏付けとなる可能性のある資料は、政子の死亡直前の心マッサージ施行時に、気管カニューレの挿入されている喉の切開部分から大量の黒褐色の液体が排出されたとの事実である。

しかし、澤田鑑定によれば、①流動性の胃内容物を嘔吐し、これを誤飲して窒息死する場合には、誤飲する嘔吐物は大量であることが通常であり、このような大量の嘔吐物を誤飲する場合には、解剖学的に嘔吐物が口腔内にも排出され、あるいは口から外に排出される嘔吐物も多いのが通常であるにもかかわらず、本件においては、前記認定のように、口腔内あるいは口から外への嘔吐物の排出が見られていないこと、②気管切開が施行されている本件においては、喉頭以下の部分で気管内腔の大半は金属カニューレで占められており、大量の液体が流入しにくい状態にあったこと、③これに対して、政子の場合がそうであったように、昏睡状態にある者に心マッサージが施行されると、心マッサージの圧迫により胃内容物が食道を上昇し、上昇した胃内容物が、昏睡のため沈下している舌根にさえぎられて、口腔内に排出される前に気管に入り、気管切開創からマッサージの圧迫のたびごとに排出されることは、臨床上しばしば経験される現象であることが、いずれも認められ、これらの事実の下では、政子の死亡直前の心マッサージ施行時に、気管カニューレの挿入されている喉の切開部分から大量の黒褐色の液体が排出されたという事実は、心マッサージの圧迫により胃内容物が食道を上昇し、昏睡のため沈下している舌根にさえぎられて上昇した胃内容物が口腔内に排出される前に、気管に入り、気管切開創からマッサージの圧迫のたびごとに排出されていたことを示しているにすぎない、と認定するのが合理的である。したがって、右事実は政子が嘔吐物を誤飲して窒息死した事実の裏付けになるわけではなく、他にも、政子が嘔吐物を誤飲して窒息死した事実を認めるに足りる証拠はない。

2  自白の撤回について

被告らは、本件口頭弁論において、原告らの主張のうち、政子が嘔吐物を誤飲した事実及び政子が誤飲による窒息により死亡した事実をいずれも認める旨の陳述をした後に、澤田鑑定を受けてこの自白を撤回した。しかし、前記認定の政子の死亡に至る経過によれば、被告らの自白は事実に反するものであることが、訴訟の経過によれば、右自白が被告らの錯誤によるものであることが、いずれも明らかである。そこで、当裁判所は、政子の死亡経過について、被告らが口頭弁論において当初行った自白の内容にかかわらず、これと異なる前記の認定を行うことにする。

3  誤飲による窒息死を前提とする原告らの第一次的主張の当否

以上のとおり、政子が嘔吐物を誤飲して窒息死した事実は、認めることができない。したがって、誤飲による窒息死であることを前提とする原告らの第一次的主張は、その前提を欠き、その余について判断するまでもなく、理由がないことが明らかである。

四前記認定の政子の死亡に至る経過を前提とした場合の被告らの責任について

1  政子の死亡についての責任について

前記認定の事実及び澤田鑑定を総合すると、以下の事実が認められる。

福馬外科における被告らの政子に対する治療においては、梶川病院における手術直後からの発熱から政子に何らかの感染症が疑われるにもかかわらず、これを念頭においた治療は行われていない。また、福馬外科への転入院当日の一月一七日に、黒色軟便が認められ、脳出血によるストレスを原因とする消化管出血が発生していることが疑われるにもかかわらず、これを念頭においた治療も行われていない。

しかし、福馬外科に転入院した際の政子の症状は、脳出血を起こしたうえ、これによる脳障害がけいれんを伴うほど重い状態となり、しかも腎機能障害を急激に起こしているような状態であって、予後の極めて不良な徴候が重なっており、臨床経験上、数日中にはいずれにしても全身状態の悪化により死を免れないことが極めて強く予想される状態であった。また、感染症に対する治療としては、抗生物質の投与が考えられるが、抗生物質の投与は、血液透析を必要とし極めて不良な予後を予想させるほど悪化していた政子の腎機能障害をさらに悪化させた可能性もある。さらにいえば、適切な感染症対策のためには、本来、起炎菌を検索特定して有効な抗生物質を選択して投与する必要があるが、政子は福馬外科への転入院の翌日には死亡するという急激な死の経過をたどっていることから見ても、仮に腎機能障害に対する配慮を度外視したとしても、福馬外科において有効な感染症対策が可能であったかどうかは極めて疑わしい。

したがって、被告らが有効な感染症の対策を講じることが可能であったとは認められず、また、仮に感染症対策が講じられていたとしても、そのことが、政子の死亡に至る経過に何らかの変化をもたらしたであろうということまではできても、それが政子の延命に結び付いたであろうとまでは認めることができない。

また、消化管出血についても、政子が、けいれんを伴う重篤な脳障害に腎機能障害と感染症とを併発して、それだけでも極めて予後不良の全身状態にあったことを前提にすると、消化管出血に対する治療の有無が、全体としての病勢を左右したとは認められず、したがって、それによって、政子の延命を実現することができたと認めることもできない。

以上によれば、政子の死亡に至る経過については、脳出血によりけいれんを伴う重篤な脳障害を引き起こしたうえ、さらに腎機能障害を併発したという病勢から、数日中には何らかの経過において訪れることが極めて強く予想された死亡という転帰が、予想されたとおり訪れたものにすぎない、ということができる。感染症や消化管出血というものが死亡の過程における全身状態の変化に対して何らかの役割を果たしたことは考えられるが、それらに対する治療が適切に行われていれば死の結果を免れることができたであろうとか、あるいは少なくとも延命を実現することができたであろうとかいえる状態にあったと認めることはできない。

そうすると、感染症や消化管出血に対する対策を講じなかったことが、政子の死亡という結果に対する関係において、被告らの過失であるとはいえない。

また、原告らは、被告らが血圧の管理を怠ったとも主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠もない。

2  最善の医療を受ける権利、延命に対する期待の侵害について

原告らは、被告らが、血圧管理を怠り、あるいは感染症や消化管出血に対する対策を怠ったことが、政子の最善の医療を受ける権利ないし延命に対する期待の侵害であると主張し、政子の死亡によって原告らの受けた精神的苦痛に対する慰藉料の支払をも求めている。

確かに、患者の死そのものはいずれ免れないものであり、医師の診療行為との間に因果関係を認めることができないとされる場合であっても、医師の落度がなければ延命を実現することができたであろうと認められ、したがってその落度と死期を早めたこととの間においては因果関係が認められる場合や、あるいは落度と死期を早めたこととの間に因果関係を断定的に認めることまではできなくても、少なくとも落度がなければ延命を実現することができた可能性が相当程度認められる場合には、あるいは、患者の死によって遺族の受けた精神的苦痛について、診療に落度のあった医師が損害賠償の責任を負うものとすることも、可能であるかもしれない。

しかし、前記認定の事実によれば、本件の場合には、被告らが原告らの主張するような診療上の配慮をすれば、延命を実現できた可能性が相当程度認められる、とすることはできず、このような場合においては、政子の死によって原告らが受けた精神的苦痛は、いまだ社会的に見て損害賠償の対象とすることを相当とするものには至らないというべきである。

したがって、最善の医療を受ける権利ないし延命に対する期待の侵害を理由として慰藉料の支払いを求める原告らの請求も、理由がない。

五死亡原因についての誤った説明について

1  患者の死亡の経過・原因についての医師の遺族に対する説明義務

医師の本来の責務が、患者の生命、健康を保持するための診療行為にあることはいうまでもない。しかし、医師の診療の甲斐なく不幸にも患者が死亡するに至ることも、医療の場面でしばしば直面する事態であり、それは、医療の性格上やむを得ないことでもある。このような事態に直面した場合、それが死という人の一生において最も重大な事態であるだけに、患者の遺族が、患者が死に至った経緯及びその原因を知りたい、知って少しでも心を落ち着けたいと考え、それに対する説明を診療を行った医師に対して求めることも、いわば人としての本性に根ざすともいい得ることであり、至極当然のことである。

そして、生命の重要性、これを前提に高度の専門的知識を有する者が特別の資格に基づいて行う業務とされる医療の特殊性、医師が患者に対する診療契約関係においては診療内容について報告義務を負うとされること(民法六四五条参照)、死亡の経過及び原因は、多くの場合診療に当たった医師にしか容易には説明できず、少なくとも当該医師によって説明されるにふさわしい事項であることなどの事情を総合的に考察すると、死亡の経過及び原因の説明を診療を行った医師に対して求める患者の遺族の側の心情ないし要求は、それが医師の本来の責務である診療行為の内容そのものには属しないことを踏まえても、なお、法的な保護に値するものと解するのが相当である。

以上に述べたところによれば、自己が診療した患者が死亡するに至った場合、患者が死亡するに至った経緯・原因について、診療を通じて知り得た事実に基づいて、遺族に対し適切な説明を行うことも、医師の遺族に対する法的な義務であるというべきである。

もちろん、医師の本来の責務が患者の生命・健康の保持にあることはいうまでもないことであり、医師が遺族に対して前記の説明義務を負うとしても、それは医師が患者の診療に携わったことを契機とする、あくまでも付随的な義務としての性格を有するものと解するのが相当であり、したがって、医師が遺族に対して行う説明内容の正確性等について、過度の要求をすることは相当でない。

しかし、少なくとも、医師の基礎的な医学上の知識の欠如等の重大な落度によって、患者の死亡の経過・原因についての誤った説明が行われたような場合には、この点について医師に不法行為法上の過失があるというべきであり、したがって、医師はこれによって遺族の被った損害を賠償する責任があるというべきである。そして、この医師の賠償すべき損害の中には、誤った説明によって遺族の受けた精神的苦痛が法的に見て金銭的な賠償を相当とする程度に重大なものである場合における慰藉料も含まれると解するのが相当である。

2  本件における死亡の経過・原因の説明の当否について

以上のような観点に立って、本件における患者の死亡の経過・原因の説明につき、その当否を検討する。

(一) まず、本件における死亡の経過・原因の説明の内容については、被告佐々木が、政子の死亡した一月一八日に、直接死因を「消化管出血、誤飲」と記載した死亡診断書を発行し、その旨の説明を原告淳に対して行ったこと、その後一月二七日に、「流動食注入後大量の吐血があり、誤飲し肺内へ吐血が流入し、窒息にて死亡した。吐血の原因はストレス潰瘍による急性胃出血と考える。吐血に対する手当が遅れた。」旨の説明を行っていることが認められる。(当事者間に争いのない事実、<書証番号略>)

政子の死亡原因は前記認定のとおりであるから、政子の直接死因が吐血を誤飲して窒息したことによる旨の被告佐々木の前記説明は、事実に反する誤った説明であったということができる。

(二) 前記認定の事実と澤田鑑定によれば、被告佐々木が政子の死亡原因についてこのように誤った説明を行った経緯と原因は、次のようなものであったと認めることができる。

被告ら福馬外科の医師は、もともと脳神経外科を専門としていたわけではなく、被告佐々木が重篤な脳障害のある政子の転入院を受け入れたのは、福馬外科に血液透析の設備があったことから、その設備のない梶川病院の要請に応じて、主としては政子の腎機能障害に対する治療として血液透析を実施するためであったにすぎない。そして、被告らは、転入院を受け入れるに当たって、脳神経外科を専門とする梶川病院の梶川医師から、政子の血腫除去手術後の脳障害の状態は比較的良好であるとの説明を受けていたため、専門外の脳の状態は比較的良好なものと信じていた。

しかし、実際には、政子の脳障害の状態は、けいれんを伴う状態にまで達しており、既にそれだけで致命的といえる程度に重篤な状態に至っていた(なお、このように、脳出血患者が発症後間もない時期にけいれんを伴うほどに脳障害が悪化する例は、臨床上必ずしもしばしば経験する事態ではなく、けいれんが脳出血患者の極めて不良な予後を予測させる症状であることに、被告らや梶川医師が気がつかなかったことには、無理のない面もある。)。まして、このような重篤な脳障害のある患者が血液透析を必要とするほどの腎機能障害を起こした場合には、既に救命は極めて困難であるにもかかわらず、梶川医師も被告らも、脳障害のこのような重篤さに気がついていなかったために、不良な予後の予測が十分にはできていなかった。こうして、被告佐々木は、重篤な脳障害に加えて腎機能障害をも引き起こしているという政子の基礎疾患の重篤さについての認識が不十分であったうえに、脳出血に伴って多くの場合ストレス潰瘍が発生するという医学上の基礎的な認識を欠いたまま、政子の診療に当たったため、政子の死亡直前まで消化管出血に対する配慮を全くしていなかった。

ところが、被告佐々木は、このような認識や配慮の状態で心マッサージに当たったところ、その際に、気管切開部から大量の出血を見たことから、消化管出血に対する配慮を全くしないで診療した自らの落度に気がついて狼狽した。そのうえ、被告佐々木は、心マッサージの際に、機械的な圧迫から胃内容が上昇し、これが昏睡して舌根沈下している患者の気管切開部から排出されるという、これまた臨床上しばしば経験する医学的な基礎的認識を欠いていたために、気管切開部からの出血は、実際には胃からのものであるのに、それが肺から上昇したものであるとの誤った認識をした。このようなことから、被告佐々木は、政子の直接死因として、消化管出血が大きな役割を果たしているとの誤った認識と、政子が吐血を誤飲して窒息したとの誤った認識との、二重の誤解に基づいて、前記のように、死因についての誤った説明を行った。

(三) 以上の事実関係に基づいて検討すると、被告佐々木が、政子の直接死因として、消化管出血が重要な役割を果たしていると誤解した点は、それだけを取り出せば、やむを得ないものと考えられる。前記のように、まれな症例であるけいれんを伴う脳出血の重篤さに気がつかなかったことについて、必ずしも被告佐々木に落度があるということはできないことからすると、脳障害の重篤さに気がつかなかったことから、これに腎機能障害を併発したことの重要性にも気がつかず、結果的に消化管出血が死因に大きな役割を果たしていると誤解したことについては、これを法的責任の根拠になるほどの落度として非難するのは酷に過ぎると考えられるからである。

しかし、被告佐々木の説明は、政子は最終的には吐血を誤飲して窒息死したというものであって、このような誤った説明は、澤田鑑定によれば、医学上の基礎的な認識を欠いていたために犯した誤りであることが明らかであり、このような誤りをやむを得ないものとして正当化する事情は本件全証拠を検討しても認められず、被告佐々木には、落度があったといわざるを得ない。しかも、この落度は、医学上の基礎的な認識を欠いていたためにこそ生じたものであるという点から見て、重大なものということができる。

そして、この誤った事後説明の内容は、誤飲による窒息ということであれば、もう少し医師が配慮してくれていれば、救命ないし延命が可能であったのではないかという、あきらめきれない強い無念の思いを遺族に対して抱かせずにはおかない面を有するという意味で、決して小さいとはいえない結果を生じさせるものである。そして、本件においては、そのことが本訴の提起にまでつながり、さらに、訴訟中も、被告佐々木は、澤田鑑定が行われるまで、引き続きこのような誤った事後説明に沿った主張、供述をしている、という本件訴訟の提起の前後を通じての経過をも考慮に入れると、被告佐々木の誤った説明によって原告らの受けた精神的苦痛は、社会通念上、損害賠償の対象となる程度にまで達していると認めるのが相当である。

(四) 以上のとおりであるから、被告佐々木は、政子の夫と子である原告ら遺族に対して、不法行為による損害の賠償として、このような誤った事後説明により受けた精神的苦痛に対する慰藉料を支払う義務がある。

そして、このような原告らの精神的苦痛に対する慰藉料の額としては、被告佐々木の説明が医学上の基礎的な認識を欠いたものであること、他方、政子の死亡は結局のところ被告らの医療の過誤によってもたらされたものではなく、病勢の自然の帰結であって、現在においては、澤田鑑定により、死因が右のとおりであるとの正当な説明がされていること、その他本件の一切の事情を考慮して、原告淳について二〇万円、同博規と同奈美についてそれぞれ一〇万円ずつとするのが相当と認める。弁護士費用は、原告淳について五万円、同博規と同奈美についてそれぞれ二万五〇〇〇円ずつとするのが相当である。

なお、被告八幡が政子死亡後の事後説明に関与した事実は認められないから、同被告は、事後説明に伴う損害賠償義務は負わない。

六結論

以上によれば、原告らの請求は、被告佐々木に対し、原告ら遺族に対して死因についての誤った事後説明をしたことによる損害の賠償として、原告淳について二五万円、同博規と同奈美についてそれぞれ一二万五〇〇〇円ずつの合計五〇万円とこれに対する誤った事後説明をした政子の死亡の日である昭和五八年一月一八日から支払済みまでの遅延損害金を支払うよう命じる裁判を求める限度で理由があり、被告佐々木に対するその余の請求と、被告八幡に対する請求は、いずれも理由がない。そこで原告ら各自の請求中、右理由のある部分を認容し、その余の部分を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官小林久起 裁判長裁判官山下和明、裁判官飯田恭示は、いずれも転補のため署名捺印することができない。裁判官小林久起)

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